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わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。

(詩編103編1節)

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毎月の聖句

ドレーパー記念幼稚園だよりに掲載されている今月の聖句を掲載しています

【7月の聖句】

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。             
どんなことにも感謝しなさい。」

(テサロニケの信徒への手紙5章16節−18節)
 
小河由美子 

 

 この聖句は、新約聖書の『テサロニケの信徒への手紙』の中に記されています。『テサロニケの信徒への手紙』は、キリスト教の大伝道者パウロという人が書いたもので、新約聖書の中にある手紙の中で一番早くに書かれたものです。

「いつも喜ぶ」ことができたら、どんなにか素敵でしょうと思いますが、私たちには喜べる時と喜べない時があります。また「どんなことにも感謝しなさい」と言われても、感謝できない場合も多々あります。

実は、パウロが、この手紙を書き送った目的は、テサロニケの教会の人々を励ますためでした。パウロ自身、この手紙を書く前や、書いている時も、また書いた後も、大変な困難や苦闘がありました。でも、神さまがいつも共にいて彼を助け、支え、勇気を与え続けてくださったので、パウロとイエス様を信じる弟子達の働きは、神様に祝福され、イエス様を信じる人々が各地に起こされ、教会が建てられていったのです。

それでは、このパウロの言葉を現代に生きる私たちに向けて語られた聖書の言葉として受けとめ、これらの言葉を守ることができるだろうかと考えたいと思います。

「いつも喜ぶ」ことができるのは、どういう時でしょうか。自分にとって一番大切な存在、愛おしい存在を心に思い浮かべてみてください。それは過去の存在であっても大丈夫です。その存在を思い浮かべるとき、私たちの心は嬉しく思い、いつも喜ぶのではないでしょうか? イエス様を信じる人は、どんなことがあっても、イエス様がいつも一緒にいてくださることを知っているので、イエス様の存在を喜ぶことができます。悲しくても、辛くても、苦しくてもイエス様を喜ぶことができます。ちなみに私はイエス様以外には、愛する猫のタコハチ(もう天国に行っています)を思い浮かべると、自然と心が喜びます。

 「絶えず祈る」ということは、すべてをご存じのイエス様に何でもお話することです。自分の心の中にある思いをイエス様にお話するのです。嬉しいことも、嫌なことも、悲しいことも、いろいろな願いも、すべて自分の心の中の思いをイエス様にお話するのです。これなら何とかクリアできそうな気がします。

 むずかしいのは「どんなことにも感謝する」ことではないかと思います。日々の生活の中で、今、生かされている命、日々与えられる食事、豊かな自然の恵み、家族のこと、子どもたちのこと、様々な恵みを覚え、感謝することができます。でも「どんなことにも」という点でハードルが高くなります。「そこまで心が広くない」と開き直ってしまえばそれまでですが、「長い目で考える」ということが、私たちの心を広くさせるのではないかと思います。「今の苦労は、将来、きっと何かの役に立つ」そう考えると忍耐力が養われます。

聖書に「万事が益となるように共に働く」(ローマの信徒への手紙828節)という言葉があります。これは旧約聖書の物語を通して神様が私たちに与えてくださる知恵でもあります。神様に愛されていることを知り、神様が自分にとって最善を為してくださるお方であることに信頼いたしましょう。

【6月の聖句】

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。         
                      そうすれば見つかる。」

                   (マタイによる福音書77節)
小河由美子 

教会では毎年6月の第2日曜日に「子どもの日・花の日」礼拝をいたします。今年はペンテコステ礼拝と同じ日ですが、子どもたちが美しく咲く花々のように神さまの愛に守られて、すくすく育つことを願います。神さまはわたしたち一人ひとりを花々のようにそれぞれに美しさを与えてくださっています。大人も子どももみんな神さまの子どもです。一人ひとりが神さまからたくさんの愛情と祝福をいただいていることを知っていただきたいと思います。

イエス様は、私たちに、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」と教えられました。そして「あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」と言われました。

 神さまのことをもっと知りたい、神さまがどのようなお方かもっと知りたい、そう思っている方は是非、天の父なる神にそのことを願い、聖書の学びや子どもの教会に参加していただきたいと思います。そうすれば、きっと神さまはご自分のことを教えてくださいます。

また、わたしたちは神さまの子どもとして、何でも神さまに願うことができます。ですから「求めなさい」という教えは、神さまのことを求めること、神さまの御心を求めるという祈りに加えて、私たち自身の必要を祈り求めることができるということでもあります。天のお父さんはわたしたちに必要な良いものを必ず与えてくださるお方だからです。

「探しなさい」「門をたたきなさい」という教えも天国の門を探す、その門をたたくという意味もありますが、自分が進みたいと思う道、学びたいと思うことが何であるのか探し求める、あるいはその分野の門をたたくということにもつながると思います。以前、「自分探し」という言葉がよく使われました。自分探しとは、アイデンティティの確立や自己実現のための取り組みを意味する言葉ですが、「自分らしさとは何か」また「自分にとって何が意義のあることであるのか」、「自分は根本的に何を求めているのか」を自己洞察したり自己吟味したり、自分の夢を実現するためにいろいろなことを体験したりすることであったりします。

自分にとって意味があると感じることを見つけると、大変なことであっても、そこに意味があることで前向きに対処することができるように思います。自分は何が好きなのかを考えてみることや好きなことのために学びを深めていくことも意味があると思います。

何より、天のお父さんである神さまが、あなたを大切な存在としていつも愛情をもって見つめていてくださることを知ること、イエス様が共おられることを知っていただけるととてもうれしいです。

【5月の聖句】

「野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。」        
(マタイによる福音書6章28
小河由美子 

 野の花の美しさは、よく見ないと気づかないことが多いと思います。でもよく見ると、小さな青い花、白い花、赤い花、桜色の花、薄紫色の花、黄色い花、オレンジ色の花、形もそうですが、それぞれに花の色がとても美しいのです。

我が家の外壁と道路のほんの少しの隙間から雑草が生えてくるのですが、野の草の生きることへのたくましさに勇気づけられたりもします。抜くのをちょっと怠ると、いつの間にか黄色いタンポポの花が咲いて、可愛いので抜くことができずそのままにして、つぼみがついていないものだけ抜いて・・等していたら、しばらくの間抜けなくなってしまいます。ご近所の手前、早く何とかしなければと思うのですが、雑草があると散歩をしている犬たちが喜ぶかもしれないとも思ってしまったりします。

さて、今月の聖句は、イエス様が、明日の食べ物や着るもののことについて思い煩うことの多いガリラヤ地方の貧しい人々に向けて語られた御言葉です。「空の鳥をよく見なさい」「野の花がどのように育つのか注意してみなさい」。鳥は種も蒔かず、刈り入れもせず、収穫した作物を倉にも収めないけれども、神さまがちゃんと養ってくださっているでしょう、同様に、神さまは野の花もどのような豪華な衣装よりも美しく装ってくださっているでしょう、「今日生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのだから、まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」、だから心配しすぎないようにしなさい、と教えておられるのです。

私たちにも日々の生活の中で思い煩うことがあるかと思います。しかし「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」とイエス様はおっしゃいます。

思い悩み過ぎないこと、今日できることをしたら明日のことは神さまにお委ねする、そのように考えることができたら少し元気が出るかもしれません。

【4月の聖句】

「木には希望がある。たとえ木切られても、また芽を出し
          その若枝の絶えることがない。」
(ヨブ14・7)
                                小河由美子     

 この聖書の言葉には、いつも新しい命の力強さを感じさせられます。

20年以上も前のことですが、当時、植物の育て方が良くわかっていなかった私は、霜が降りた寒い冬の朝、外に出していた観葉植物の土が乾いていたので、お風呂の残り湯を葉っぱの上からかけてしまったことがありました。夕方になって、霜焼け状態となっていた葉っぱを見て「しまった!」と思いましたが、時すでに遅し。案の定、その後何日かしてその観葉植物は枯れてしまいました。このようなとき、根本から切るのが良いと聞いた記憶がかすかにあり、そうしたのですが3ヶ月経っても枯れた幹が残っているだけでした。やはり駄目だった、もう捨てなくてはと思いながらも捨てそびれていたある日、茶色くなった幹の端からほんの少し青い色が見えたのです。そして2,3日後、それは小さな小さな葉になったのでした。そのときの喜びは忘れられません。その後少しずつ成長し、毎年、春から夏にかけて新しい葉がたくさん芽生えるようになりました。5年もすると腰の高さほどになり、前より3倍も立派な観葉植物に育ちました。その観葉植物は鉢植えから庭に植え替えられ、今でもたくましく生きています。枯れてしまったとき、早々にあきらめて捨てなくて良かったとつくづく思います。何事も「自分の考えだけで判断するべきではないかもしれない」「早まってあきらめてはいけない」「注意深くあること」を教えられました。

子どもたちひとりひとりに、神さまから生きる力が与えられています。神様の祝福を豊かに受けて、のびやかに、たくましく成長されることを期待しています。


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      (幼稚園と兼用)